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激闘、南太平洋決戦
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第二次ソロモン海戦の後、航空母艦の損失を避けるため、日米両軍とも、機動部隊はガダルカナル島には近づけないでいた。 日本軍はその間、夜陰に乗じて戦艦、重巡洋艦部隊を送り込み、サボ島沖海戦、や戦艦金剛、榛名によるガダルカナル島への夜間艦砲射撃を行っている。 ガダルカナルの日本陸軍は、再度のヘンダーソン飛行場攻撃に失敗していたが、さらに10月に約15000人まで増兵し、20日ごろに総攻撃を開始する準備が行われていた。 こうしたソロモンの戦線が急を告げる中、内地にいた日本空母の隼鷹、飛鷹、瑞鳳が トラック島に出てきた。先の第二次ソロモン海戦で、失った航空隊を補充した瑞鶴、翔鶴とともに、空母5隻の陣容を整えた日本軍は、ガダルカナルの陸軍総攻撃の支援に向かったのである。(但し、飛鷹が、海戦直前になり機関故障で戦線を離脱)
一方、米軍の空母部隊は、深刻な危機に陥っていた。 米空母サラトガが、潜水艦の雷撃で損傷し、空母ワスプは撃沈。 先の第二次ソロモンで、エンタープライズも損傷していたため、無傷な空母はホーネットのみとなっていたのである。 しかし、ミッドウェーでの勝利が米軍の相当な自信回復につながっており、士気はおおいに高まっていた。 高度な技術力でエンタープライズを修理すると、再び南太平洋へ送りだした。
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「南太平洋海戦」
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日本陸軍(第二師団を中心とした第17軍)の総攻撃は、深いジャングルに阻まれ、一日一日遅れていた。
攻撃延期の打電を受けるたびに、南雲機動部隊は北上反転を繰り返していたが、 ようやく25日になりガダルカナル島近海に向けて南下した。 しかしその間、南雲機動部隊は敵の索敵飛行艇に何度か発見されており、26日には、敵飛行艇から空襲を受けている。 そのため、現在位置を敵から逸らす目的で、再び北上し、二重索敵を行って敵機動部隊の存在位置の確認を急いだ。 二重索敵は攻撃機の数を減らすのでミッドウェイ海戦までは採用されなかったが、その後の戦訓から確実な情報を得るための方法として使われている。
「敵大部隊見ゆ、空母1外15」
索敵機より第一報打電が入り、瑞鶴、翔鶴、瑞鳳から第一次攻撃隊が発進し、続けて第ニ次攻撃隊が発進した、約100機の攻撃隊である。敵との距離南東約390キロ
第一次攻撃隊が飛び上がった直後に、米軍の艦爆撃機4機(索敵機)が現れて、瑞鳳の飛行甲板に一発命中させた。 今回翔鶴には、対空レーダーが装備されており、後続に敵機編隊が145キロに迫っているのを探知していた。 直衛戦闘機が応戦し、対空砲による弾幕をはり、翔鶴も左右に艦を回避活動おこなったが、来襲した米軍艦爆15機の攻撃で、立て続けに4発の500k爆弾が命中し炎上した。 しかし後続の米軍攻撃機は前衛の艦隊に阻まれ、空母まで到達しなかった。
今回の翔鶴には、ミッドウェイ海戦の戦訓が活かされ、敵機襲来を探知すると、甲板に17本のホースで水を流しておき、延焼する類、たとえば故障した飛行機や畳なども投棄され、不要な爆弾は即格納庫にしまわれた。そのため、4発の500k爆弾の直撃を受けても延焼を防ぐことができた。 瑞鶴は、幸運にも米軍機に発見されす、無傷で残った。
一方、米空母部隊へ攻撃に向かった、第一次攻撃隊は、米軍機と二度もすれ違った。二回目の時は戦闘機九機(瑞鳳隊)が応戦に向かって離脱した。 攻撃隊はそのまま前進し、前下に米機動部隊を発見した。
日本軍艦爆21機(翔鶴隊)は高度6000メートルから急降下体勢にはいり米空母を目指す。 米軍直衛戦闘機が迎撃に上ってきたため、第一中隊は応戦のため爆撃コースから一端外れるが、第二中隊が先に突入した。 米空母はホーネットであった。 重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦が円陣を組んで防衛線を引き、猛烈な対空砲火、機銃による弾幕が張られ、日本攻撃機は次々に被弾し落されていった。 しかし勇猛果敢に弾幕をすり抜けた一機が250キロ爆弾をホーネットの飛行甲板に命中させた。ちょうどそのとき、日本軍の艦攻20機が雷撃の体勢に入った。迎撃の敵影が少なくなった中で、左右から挟撃する形で魚雷を投下した。魚雷は艦体のほぼ中央に2本命中し、ホーネットは機関部付近が破壊され動力機能が停止した。第一次攻撃隊は、計 爆弾4発、魚雷2本をホーネットに命中させている。
続いて、第二攻撃隊も、米機動部隊を発見した、眼下に黒煙を上げ停止している空母を見つけるが、攻撃せず、しばらく索敵すると、30キロ北方にもう一隻の空母を発見した。直ちに艦爆19機、やや遅れて艦攻16機が攻撃体勢に入った。 この米空母エンタープライズも僚艦の円陣に守られ、特に戦艦サウスダゴダに装備された40ミリ機関砲は凄まじい威力で、防御砲火を日本攻撃機に浴びせた。 それでも、激しい弾幕をかいくぐり、艦爆は250キロ爆弾3発を飛行甲板に命中させた。しかし、雷撃の魚雷はすべて回避されてしまった。 艦爆、艦攻の同時攻撃でなかったため、回避行動を容易にさせてしまったのが原因である。
ニ航戦の空母隼鷹は、第二艦隊を離れ、全速力で戦場に向かっていた。隼鷹の第一次攻撃隊は、米空母エンタープライズを発見し、突入するが、エンタープライズはスコールの雲のなかに逃げ込んだ。視界が利かぬ中、勘頼みの一発勝負で視界が開けた瞬間、眼下の敵艦に照準を合わせ爆弾投下、戦艦サウスダゴダ、巡洋艦サンジュアンに命中させた。
先の被弾で、瑞鳳が早々と戦線を離脱し、次いで翔鶴も南雲長官を乗せたまま、戦線を離脱北上したため。航空戦の指揮は隼鷹の角田司令に移された。 米軍の空母もエンタープライズが攻撃隊を収容すると戦線を離脱しており、残ったのは機関がやられ曳航中のホーネットだけであったが、日本軍は知る由も無かった。
日本の攻撃隊は甚大な被害を受けていたが、米空母を求めて再び攻撃隊を発進した。隼鷹の第ニ次攻撃隊はホーネットを発見し、猛烈な対空砲火のなか魚雷を一発命中させた。これがホーネットにとって致命傷になった。 ホーネットではついに総員退艦準備の命令がだされた。その直後、瑞鶴の攻撃隊が現れ800キロ爆弾を命中させた。 さらに日本軍は攻撃隊の手を緩めず、隼鷹より第三次攻撃隊が発進し、爆弾4発を命中させ、ホーネットの息の根を止めた。
この海戦で、米軍の損害は、米空母ホーネット、駆逐艦ポーター撃沈、空母エンタープライズ、戦艦サウスダゴダ、軽巡洋艦サンジュアン、駆逐艦スミスが中破であり、米航空機は74機喪失した。
対して、日本軍は、空母翔鶴、重巡洋艦筑摩が大破、空母瑞鳳が中破し、沈没は一隻もなかったが、航空機の損害は甚大で92機喪失した。とくに真珠湾攻撃以来のベテラン飛行士のほとんどを失ってしまったのは大きかった。 作戦終了後、28日にトラック島に帰還する瑞鶴で、作戦研究会が開かれ、戦果を受けて新顔の幕僚長の喜色満面に対し、南雲長官は心なしか顔面蒼白で物思いに沈んでいたと伝えられている。 この人的損害の大きさを知っていたからこその物思いであったのだろう。
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「航空消耗戦の果て」 |
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本海戦で、米軍は作戦可能な航空母艦は一隻もなくなり、「史上最悪の海軍記念日」といわれたが、戦略的にはガダルカナル島の飛行場を守り通すことに成功し、日本陸軍の総攻撃を撃退している。 海戦は日本軍の勝利に終ったが、その後ガダルカナル島の奪還作成に直接結びつけることができなかった。 日本軍の空母は修理と航空隊の再編のため、内地に帰還し隼鷹に残りの航空兵力は移されたが、作戦可能空母はこの隼鷹一隻だけになってしまった。 ガダルカナルに不沈の飛行場を持つ米軍にこれでは対抗できない。
その後、ガダルカナル攻防戦では、第三次ソロモン海戦が行われたが、日本軍は空母を温存するため隼鷹の投入は行わず、結果、戦艦比叡、霧島の損失を招いた、さらに米軍との激しい航空戦で、基地航空戦力が激しく消耗してしまったため、日本軍は空母搭載機の基地転用を行うしかなくなっていた。 艦載機は特別な訓練が必要で航空基地に投下されたのではいざ機動部隊の十分な作戦行動が出来なくなってしまう危険性があったが、もう日本軍にはそうせざるをえない状況に追い込まれていったのである。
結局、ガダルカナル作戦は補給や援軍が遅れぬためついに三ヵ月後中止され、日本陸軍は撤退を決定し、日本軍は以後二度と反攻に転じることはできなかったのである。
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