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聖マラキは1094年にアイルランドに生まれたカトリック教の実在の大司教です。予知能力や神秘的な力を持っており、数々の奇跡を起こしたと伝えられています。その聖マラキ神父が、165代教皇ケレスティヌス2世以降の歴代の教皇について予言したものが「教皇の予言」といわれるものです。実際に112人の教皇が記されていますが、なかには権力争いで対立し、後に教皇として認められなかった者も含まれると言います。但し、歴代の教皇は本名ではなく象徴で記されており、教皇ひとりひとりの特徴や就任した時代背景を表しています。
そればかりでは、特に感嘆だけで終わるのでしょうが、問題なのは現教皇ベネディクト16世が111人目にあたり、後1人のみの名があるだけで、予言が終わっている点にあります。そして、ローマ聖庁そのものが存在しなくなる重大な事態が発生すると予言されているのです。
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001. テレベ川の城 Ex castro Tyberis
002. 追われた敵 Iniimicus expulsus
003. 大きな山 Ex mabnitudine. montis
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予言で初めて記されたのは、1143年に即位した、165代教皇ケレスティヌス2世です。姓を「カスレルロ」と言い、これは城を意味しています。しかも出身がテレベ川の辺であったと言われています。
166代教皇はルキウス2世で、姓のカッチャネミチはまさに追われた敵と言う意味 です。反対派の投石で怪我を負い、それが元で死去したと言われています。
ラテン語の大きな山は古代オリエントのシュメールの主神であるエンリルを示します。戦争で強力な力をもって敵を滅ぼす神とされています。167代教皇のエウゲニウス3世は運命の第2回十字軍遠征に檄を発した不敵の武闘派教皇として有名です。
この予言書には発見された経緯から、その他の予言書同様に、偽書と言われています。この予言書を世にだしたのが、聖マラキの死後450年を経た、聖ベネディクト会修道士のアノルドという人物で、1595年にアノルド本人が書いたものではないかという疑いがあるのです(次期教皇の選出に絡んでいたという話です)。 たとえそうであったとしても、彼が未だ経験していないはずの、16世紀以降の教皇についての符合点は、偽書と一瞥するだけでは説明できないのも事実です。
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109. 月の半分 De medietate Lunae
110. 労働者の太陽 De labore Solis
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教皇ヨハネ・パウロ1世は教皇就任後、僅か33日で亡くなっています。教皇就任する前、ベネチアの大司教を務めていましたが、ベネチアの別名が「半月の街」です。
前教皇ヨハネ・パウロ2世は、ポーランドの貧しい労働者の家に生まれ、司祭になってからは、労働者の元を激励に歩くいわば労働司祭として活躍します。まだ東欧で共産主義体制が圧制を強いていたころから、秘密警察に抵抗し、東欧キリスト教会の歴史に大きな足跡を残しています。
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111. オリーブの栄光 Gloria olivae
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ベネディクト16世。今度の新教皇はドイツ系で、どうオリーブと関係するのは、未だ明確な解釈は行われていません。
ただ、第2次世界大戦でナチス党員(ヒトラーユーゲント)に加入していたのは事実ですから、なおさら世界平和を願う教皇の意志表示としてベネディクト15世の後継者を名乗ったのではないでしょうか。「オリーブ」が平和の象徴であるのは、旧約聖書に由来しています。
ちなみにベネディクト=Benedikt(独)、ラテン語ではBenedictusで聖ベネディクト修道会の別名がオリーブの会となっています。
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112. ローマ聖庁が最後の迫害を受ける間、ローマ人ペテロが教皇に就く。彼は多くの苦難の渦中で、子羊を司牧する。この苦難が終わると、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下されるのである。
終わり。
In persecuetione extrema S.R.E. sedebit Petrus
Rom. qui pascet oves in multis tribulationibus ;
quibus transactis,civitas septicollis diruetur,et
Judex tremendus judicabit populum suum.
FINIS
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問題の最後の教皇を示した予言です。この最後の教皇にのみ異例の文章が記されています。ローマ人ペテロとは、キリストの弟子で12使徒の筆頭でありカトリック教会のいわば創始者で、初代教皇といえる人物です。始まりでもあり、終わりでもあると言うことでしょう。
「7つの丘の町」とはバチカンのあるローマ市を指しています。
ローマ聖庁が最後の迫害を受けるとは、西欧社会にとてつもない事態が生まれること示しています。おそらく強大な宗教弾圧でしょう。多くの苦難の渦中で、子羊を司牧するとは、そのために数多くの犠牲者を出すが、それでも信徒は生き残ると言うことのようです。7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下されるとは言うまでもなく人類に最後の審判が下されることをいっています。
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キリスト教とは無縁の生活を送っているから、カトリック教会が滅びようがどうでもいいとは単純にはいきません。
西欧社会にとってカトリック教会は、精神的な支えでありこれが崩壊するという事は極めて深刻な事態が西欧に起こることを意味します。今の世界情勢で、西欧社会の激変が日本に全く影響を及ばさないはずはありません。
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