昭和17年5月、日本軍は連合軍の南方拠点のひとつであるニューギニア島南部ポートモレスビー攻略作戦を展開した。「MO作戦」の発動である。日本軍の主要拠点であるラバウル基地の防衛上、スタンレー山脈を越えてくるポートモレスビーからの爆撃機を封じるのが目的であった。
しかし、このMO作戦は事前に暗号解読がなされ、米国太平洋艦隊司令部は日本海軍の連合艦隊の動向をほぼ把握していたのである。
MO作戦の発端として、5月3日に日本軍はソロモン諸島のツラギ島を無血占領したが、翌日早朝には米国機動部隊の艦載機の攻撃を受け、ツラギ島攻略部隊が大損害を受けた。連合艦隊も航空母艦翔鶴、瑞鶴を中心とした機動部隊を編成していたが、この時点では未だブーゲンビル島のはるか北方洋上にあり作戦支援には間に合わなかった。ツラギ空襲に成功したヨークタウン、レキシントンからなる米国第17機動部隊も、日本軍の反攻を避けるために南方へ退いたため、両軍とも、相手の機動部隊の位置がわからないまま、後2日経過することになる。
そして7日、早朝から両軍とも敵を求めて索敵機を飛ばしあったが、翔鶴の索敵機から午前5時53分に敵機動部隊発見の打電が入った。すぐさま、零式艦上戦闘機、九九艦上爆撃機、九七艦上攻撃機が向かったが、空の給油船と駆逐艦2隻しかおらず、誤報であったことが判明した。実は、午前6時20分に重巡衣笠の索敵機から西方に敵機動部隊発見の報が届き、こちらが本物であったが、時、既に遅かりしである。
米軍の第17機動部隊も、午前6時15分に敵機動部隊発見の報を受け攻撃機を飛ばしていたが、こちらもMO攻略支援部隊の微弱な艦船であり、機動部隊の発見には至らなかった。しかし、諦めずに近くの海域の索敵を続けていると、航空母艦からなる日本艦隊を発見した。軽空母祥鳳を護衛に付けたMO攻略本隊である。攻撃は航空母艦である祥鳳に中し、攻撃から5分で祥鳳は沈没した。連合艦隊が初めて軽空母とはいえ航空母艦を失ったのである。
日本の機動部隊は午後からも攻撃機を発進させるが、敵機動部隊の発見には至らず、途中、米空母のレーダーに捕捉されて迎撃されたり、薄暮のなか、何機かが味方空母と誤って着艦しようとして一機が撃墜される事態が起こるが、以降日没のため、本格的戦闘は翌日に持ち越された。
明けて8日、両軍とも索敵を行いほぼ同時刻に敵を発見し、同時に攻撃機を発進させた。日本軍機はレーダーで捕捉され、戦闘機の迎撃を受けたり、激しい対空放火に襲われたが、かいくぐって敵米国空母に接近しレキシントンに魚雷2本爆弾2発を命中させ、ヨークタウンには爆弾1発を命中させた。レキシントンはガソリンに引火して大爆発を起こして、航行不能(後、自沈)となりヨークタウンは小破となった。一方、米軍機も日本軍機動部隊に激しい攻撃を浴びせ、空母翔鶴に爆弾3発を命中させ飛行甲板を著しく損傷させた。翔鶴は艦載機の発着艦が不能となり、日本軍の帰還機はすべて瑞鶴に収容された。瑞鶴は米軍機の攻撃時、偶然にもスコールの中におり、難を免れたのである。
この戦闘で日本軍の艦載機は約3分の1を失い、しかも直ちに戦闘可能な機は9機しかいなかった。もはや戦闘続行は不可能と判断され、米機動部隊への追撃は中止されて、両軍とも機動部隊は戦線を離脱し、史上初の航空母艦同士の艦隊決戦は幕をおろした。同時に機動部隊の支援を失ったポートモレスビー攻略も中止され、破竹の勢いだった日本軍の作戦進行が、初めて挫折してしまうのである。
珊瑚海海戦では、日本側は翔鶴に損害がでたものの、瑞鶴は無傷であった。しかし、航空部隊の被害があまりに大きかった為、連合艦隊司令部は、次のミッドウェー作戦への両空母の参加を早々と諦めてしまった。
それに対して、米太平洋艦隊司令部は、傷ついて帰還したヨークタンを突貫工事で修復し、航空部隊も生き残りの混成部隊を編成して搭載させ、72時間後にはミッドウェー作戦に出撃させたのである。この違いこそがミッドウェーでの勝敗を左右した一因であったのかもしれない。